新・桜田淳子資料館
産経新聞2003.06.21付
森田公一作曲、桜田淳子の歌で昭和52年5月、ビクターから発売。同年の紅白歌合戦で、桜田淳子は紅組の一番手としてこの歌を歌った。
どういう社会の力学なのかわからないが、既に過去であったはずのものが、次々と表へ出て来る現象がある。一昨年あたりからそうなのだが、カバーブームとかいって、かつてのヒットソングを現在の歌手が歌うことが流行りになっていたが、いよいよ、カバーではなく、ご本家の歌がそのまま求められるようになったようである。 山口百恵のものが評判になったと思うと、ピンク・レディーが活動を開始し、と思っていたら、どうやら桜田淳子の作品集も出るらしい。
ぼくのところへ、歌手桜田淳子の魅力と、その歌の意義について原稿を書いてくれと、依頼がくる。依頼の殺し文句は、「何しろ、シングル盤のAB面併せて全七十六曲、そのうち、四十一曲が先生の作詞ですから、これはもう」といわれるとやらざるを得ない。いい文章を書きましょうと返事をする。
それにしても、一人の歌手のシングル盤に四十一曲とは、凄い数である。この他にLP盤にも作詞しているから、一体全部で何篇の詞を書いたのかと、思ってしまう。 当時は、三カ月に一枚のローテーションでレコードが発売されていたから、こんな途方もない数になってしまったのであろう。発売と同時に次の作品の創作にかかっていたのである。音楽とテレビの蜜月時代で、売り出せばすぐにテレビ番組が連動し、あらゆるチャンネルから茶の間に入り込み、そこから評判は学校へ伝わるという連環であったから、たくさんの歌が必要だった。七十六曲中四十一曲というのは、こういう黄金時代の証明といえなくもない。
昭和四十八(一九七三)年の「天使も夢みる」から始まる楽曲リストのタイトルを辿っていると、既に三十代半ばであったぼくが、懸命に少女の心と幻想に触ろうとしているさまがうかがえて、不思議な感じがする。
しかし、気恥ずかしさはない。
なぜなら、ぼくは、桜田淳子という類い稀な演劇的気質をもった美少女を、どういう場面に立たせ、どういう役を与え、どういう言葉を語らせるのがいちばん魅力的かを、考えつづけていたからである。それは最後までつづく。役はファンタジーの少女からマリリン・モンローまで年齢ごとに変化し、面白かったのである。
♪去年のトマトは青くて固かったわだけど如何もう今年は赤いでしょう味もきっとくちびるとろかすはずよこんな言葉突然いわれたらあなたはどうしますか…昭和五十二(一九七七)年の「気まぐれヴイーナス」である。ファンに少女の変幻期はよみがえるか。
(あく・ゆう=作詞家、作家)
『阿久悠の歌もよう人もよう』より
音楽とテレビの蜜月時代 年齢ごとに変化する少女
桜田淳子『気まぐれヴィーナス』
※ インターネット用に見やすいように一部編集していることをご了承ください。(管理人)
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